人口の3割を超えた
定住促進活動
籠ふるさと塾
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みどり豊かな色川地区の中心、学校、役場出張所がある
籠ふるさと塾のある那智勝浦町の色川地区は、険しい山々に囲まれた標高200〜400メートルの山肌に、いくつかの集落が点在する典型的な山村である。かつては鉱山と林業の村として繁栄していた。合併(昭和30年4町村が合併して那智勝浦町が誕生する)前の昭和28年ごろには約3000人の人口があり、農林業や鉱山労働者で村は活気に満ちていた。
鉱山の閉山で急速に進んだ過疎化
銅の鉱山は戦前から操業していたが、採掘量が減少、昭和37年に規模を縮小し、800人くらいの労働者が地区から転出していった。そして昭和47年に閉山。農林業も衰退して人口減少、高齢化は深刻な事態となった。
保育所、小学校の児童数も減って閉鎖の話も現実味を帯びてきた。「このままでは地区の維持も難しくなる。なんとか食い止められないか」との声が高まっていた。
そのころ、無農薬・有機農業を提唱していた村山彰男氏が、適地を全国に探していて色川にやってきた。村山氏はこの地を有機農業の拠点に選び、同志とともに移住を決意する。
有機農業が移住のきっかけに
昭和52年、5家族17人が移住し「耕人舎」を設立、有機農業を始めた。そしてここから全国に無農薬・有機農業の情報を発信した。これに応じて全国から志を同じくする人が色川地区を訪れ、実習生として学んだ。そして定住を希望する若者を支援した。ただ、この時点では行政の後押しはなく、あくまで耕人舎独自の活動であった。その結果、平成3年までの15年間に合計15世帯50人が移住を実現した。当時の地区人口は561人だから新規定住者は1割を占める。
地域振興委発足と籠ふるさと塾開設

人口が600人を割り込む状況となる中で、定住者の存在は集落機能の維持に欠かせないものとなった。このため、定住による地域の活性化を行政も支援し、地区ぐるみで取り組む必要があるとして、平成3年、色川地区区長連合会は、色川地域振興推進委員会を設立した。地区9集落から新規定住者も含めた委員が集められた。今まで個人的に続けて来た新規定住者や就農希望者の受け入れを組織化することにしたのだ。個人ではできないさまざまな事業もこの組織が受け皿になることで実施が可能になった。
町は活動の拠点として、平成6年度と7年度に中山間集落機能強化等促進事業を導入し、「町立籠ふるさと塾」(新規就業者技術習得施設)を開設した。
施設は昭和52年に廃校になった籠小学校校舎を、9000万円かけて整備したものだ。遠く熊野灘も望める立地は素晴らしい。施設脇にはおなじみの二宮尊徳像が立っているし、講堂、廊下や黒板に校舎の面影が残っている。家族用の滞在部屋が2室、単身者滞在部屋が4室。研修室、コミュニティールーム、調理室、浴室がある。
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