芸術家の定住が
村に新しい風を持ち込んだ
山村芸術工房(加子母アトリエ村)
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旧加子母村は岐阜県東部にあり、94%が森林で東濃ヒノキの産地として知られる。しかし人口減少、高齢化は他の山村と変わらず、村の活性化が課題となっていた。
活性化につながった森の交流大使
平成7年、岐阜県事業である「森の交流大使」事業を始めた。都会の若い女性を募り、2年間、山村での生活を体験してもらうもの。役場の臨時職員として採用する形で、給与は県と村が半分ずつ負担する。東京会場と名古屋会場を設けて、村長も出席して面接した。
平成7〜8年3人、9〜10年3人、11〜12年2人、合計3期8人の21〜28歳の若い女性が村にやってきた。競売にかかった住宅を村が手に入れて宿舎とした。
担当した内木哲朗さん(中津川市加子母総合事務所総務企画係長)は「若い女性に話しかけられたお年寄りが、すぐ笑顔を見せて元気づくのがよく分った」と当時を振り返る。交流大使が住んだ地区名から「松の木瀬調査隊」と名付けて活動した。農家を訪ねていって、みそ造り、手もみ茶、山菜料理などの指南を受け、一緒に作業する。体験は村の広報誌に詳しく掲載する。自分の子供は聞きもしないし、聞かれても詳しく話さないことでも、外部の人、それも若い女性が相手だと話が弾む。調査隊は村内10地区すべてで手書きのイラストマップを作り上げた。
森の交流大使には役目が終わっても村に留まる定住の期待もあったようだ。しかし「任期が終わって、村内で勤めた人もいたが、なかなかうまくいかなかった」(内木さん)。それでも1人が残って活躍している。
地元産間伐材を使った工房建設
山村芸術工房は森の交流大使の芸術家版である。平成9年、当時の梶原県知事が提唱して建設が始まった。 山中にある約1ヘクタールの土地に最終的には10棟程度建設して芸術村とする構想だった。
「無料でアトリエ付き住宅に住める」――関心は高く、資料請求は100件を超えた。書類選考した三十数人を十数人に絞り込んで面接した。工房が建つ地区の役員も県や芸術家審査員とともに選考に当たった。
平成9年度2棟を、フォレストタウン事業で、地元の間伐材を使って建設した。平成11年度には2棟を健康住宅として建設した。建物は「モデル住宅」。5年間は家賃無料というのは、モデル住宅にモニター入居扱いだからだ。その後、住宅は村に払い下げる形で、5年経過後も無料を継続している。
文化を多彩にした芸術家たち
1期は彫刻、現代アートの2家族4人が平成10年4月に入居した。2期は平成12年4月、作曲と陶芸の女性2人が入居した。結婚、誕生で、子供は6人と、地区内では際立って子供の数が多い。
地区は班に分かれていて、全員が班に参加、共同作業もあるし、役員も持ち回りだから巡ってくる。住民の評判はよく、もうすっかり地域になじんでいる。

作曲家は村の歌をつくり、彫刻家は中学校の講師も務めた。現代アートの芸術家はコミュニティー誌の編集者でもある。村歌舞伎の役者もやる。後継者がなかなかいない「文化の担い手」になっているのだ。内木さんは「地元の人は引っ込み思案だが、アトリエ族は積極的。何事もパフォーマンスというか、創作活動の場と考える」という。
さらに「当初は『若い芸術家が来る』という程度しか思わなかった。アトリエ村の効果がこんなに大きいとは思わなかった。人が与える影響は実に大きい」と続ける。歌舞伎、コンサート、祭り、あらゆる行事が芸術家たちの支援で、より楽しめ、豊かなものになっているというのだ。また芸術家たちは、村の人と自然が創作活動を支えてくれていると感じている。
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